その日も
営業部のCは忙しく
時間通りに昼休憩がとれなかった
ランチタイムが
終わっているような時間に
わざわざ食べにいく気もおこらず
外の景色を眺めることのできる
窓辺のひとりがけ用のソファに
深々とすわって休んでいる
カフェオレと
チョコレート・クロワッサンだけを
休憩室の自販機で買う
そばの
マガジンコーナーにある
流行りの女性誌の特集に目がとまる
——『幸せな国 カナダへ』——
その雑誌を手に取り
ほとんど誰もいない広い休憩室の
特等席へと戻る
ゆっくりとページをめくり
カナダのステイ先特集を読む
緑豊かな木立のそばに建てられた
宿泊施設が気になる
天然素材をつかって建てられた
個性的で丸みをおびた小さな家々は
外も中も
見るからに居心地が良さそうだ
仕事でもプライベートでも
いろいろあってストレス状態の今
雑誌の中の別世界のような
景色に思わず見とれてしまう
こんなところに行ってみたい……
雑誌を顔に近づけて
見入ってしまう——
そこには大きなビール腹をした
満面の笑みのオーナーと
そのとなりで
幸せそうに微笑むアジア系女性の
二人の小さな写真もあった
見覚えのある名前が目に入り
一瞬ハッとする
目を凝らして見ると
そこには
やはり見覚えのある顔が……
——企画部にいたAだ
退職して
ワーキングホリデーで
カナダに行ったあと——
現在もカナダ在住だと
噂で知ったのは
つい最近のことだった……
いつも期限の締切に追われ
残業つづきの企画部
車通勤が許されていた
数少ない社員の一人だったAは
他の部署の社員たちにも
知られる存在だった
新しい企画のプレゼン時には
一緒に仕事することも
たびたびあった
その夜——
ソファーで
ビール片手にくつろぐ
自慢の年下彼氏のとなりで
スマホの画面を見つめる
宿泊サイトのカナダページを
熱心に見ていると……
酔った彼氏が
気にしはじめる
まただ……
——目つきが変わっている——
私の持つスマホを取り上げ
文句を言いだすと
服を強くひっぱり
すごんでくる
こうなると……
無視しても
やめてと言っても
何をやっても……
暴力が始まってしまう
——DVだった——
何度も別れようとしたが
シラフの彼はやさしく
Cの体中にできたアザを見つめ
もう二度とこんなことはしないと
何度も誓う……
Cたちの関係は
この繰り返しだった——
結局
別れられずに5年も過ぎてしまった
いつもは顔にアザができないように
手や腕でガードしているが
投げつけられたスマホの角が
額にあたってしまった
Cの忍耐も
限界に近づいていた……
❤︎
翌朝——
額にはクッキリとした
アザができていた
コンシーラーを塗り
ファンデーションを重ねる
Cの腕は
常にアザだらけだった
夏でも
どんなに暑くても
人前ではいつも長袖
何とかごまかして
会社に行くことにも
すっかり慣れてしまった
休憩時に部下たちと
ランチに向かう
ランチタイムの話題は
2ヶ月後の休暇にどこへ行くか——
だった
2ヶ月後——
Cはカナダのフェリー乗り場にいた
空港からフェリーに乗り換え
島にやってきた
メールでの約束通り
Aは迎えに来てくれていた
車で1時間半ほど走ったところで
Aたちのファームに着くと
AのパートナーのBと
Bの友人の日本人が迎えてくれた
知らない土地ながら
日本語が通じるせいもあってか
大自然のなかで
心からくつろぐことができた
ある日の夕食後
みんなで焚き火を囲んでいた時——
Cが新しい木をくべるために
長袖を肘まで上げた瞬間——
アザだらけの腕に
みんなの視線が
集中したのがわかった
——しまった——
そう思ったが…………
はじめて
自分の彼氏がDVだと
正直に告白した
驚かれるだろうと
覚悟していたが……
誰一人驚いた様子は
見せなかった……
それどころかCは
ずっと黙って話を聞いていた
日本人の放った言葉に
ハッとさせられる
——「酒乱やな……」——
AとBも
日本人の言葉にうなずいている
今まで世間で話題の
『DV』という言葉を
目に耳にするたび……
逃避していた自分に気づく
『できる女』として
見られているはずの自分が
『ドメスティック・ヴァイオレンス』
の被害者であるなんてことは
——絶対に知られてはならない——
ことだった
だが……
『DV』ではなく
『酒乱』と言われたとき——
一瞬で
自分の被害者意識が
うすれてしまうのを感じた
——自分は現実から逃げるだけで
向き合おうとはしていなかった——
Cの中で
何かが変化した……
数日後——
Cの帰国のために
フェリー乗り場へと向かう4人
車中では4人の笑い声が絶えない
3人に見送られ
フェリーの方へと
歩いていくCの表情には
来たときのような影はなく
何かがふっきれたような
明るいものへと
変わっていた——
フェリーの中で——
飛行機の中で——
一人でいる時間にあらゆることに
思いを巡らせる
こうして
カナダに来るまでの自分は——
仕事ができて
その上
年下の男前のもてる彼氏もいる……
そんな
カッコイイ自分を
演じたかっただけなのかもしれない——
自慢の彼氏が密かに憧れている先輩
——それがAの元カレだった——
そんな男も惚れるような
ルックスのいいできる男と
一緒にいたAを
落ちぶれたようにどこかで
見下してしまっていた自分
雑誌やウェブに載っていた
ビール腹のBの写真を見て
Aの元カレや
自分の彼氏と比べては
密かな優越感に浸っていた……
はじめての一人旅
——自分自身と向き合う時間を
たっぷりと持つことができた——
AとBの充実した
幸福な姿を見ていて
自分のおろかだった考えを
改めさせられた
たいしてイケてるワケでもないのに
イケてる自分じゃなくなるのを
恐れていた……
——自分も変わりたい——
Cは強くそう思った


